ご祭神・ご由緒

素盞嗚尊(スサノオノミコト)

須佐之男命や素戔男尊とも表記する男神。天照大御神の弟神であり「古事記」では黄泉の国から戻り禊をするイザナギの鼻から生まれ、「日本書紀」ではイザナギ・イザナミの二神が神生みの際に生んだと記されています。素盞鳴尊は天照大御神、月読命と共に三貴子と称されアマテラスの日、ツクヨミの月に対し風雨を象徴する神、また武の神とも言われていますが神格についてはいまだ不明な点が残るのも事実です。高天原では秩序を乱し追放の身となってしまいますが勇猛果敢な神様であり、葦原中国(神話での地上、日本国)の出雲の地へと降りて八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したという神話は有名です。その際に大蛇の尾から現れた草薙剣(くさなぎのつるぎ)は皇位のしるしとして各代の天皇により継承される三種の神器のひとつと伝えられています。後にクシナダヒメを妻とし、出雲の須賀の地へ鎮まりました。首都圏を中心に約二百八十社ある氷川神社の多くは勝負運や仕事運、縁結びにご利益があるとされています。

また境内社(末社)には食物の神・稲の霊であり「お稲荷様」の愛称で親しまれている宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祀る稲荷神社(二社)と東国を平定した英雄として名高く、災難除・開運の神である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀る御嶽神社(一社)があります。

ご由緒

当社は人皇百三代後土御門天皇の文明元年(1469年)に太田道灌が江戸城を工築するにあたりその鎮護の為、武蔵一宮氷川神社より勧請し当地に奉斎された事に起因します。太田家の神徳を仰ぎ慕う心は強く、毎年の例祭には幣帛の寄進がありました。文明九年(1477年)四月十三日、道灌が石神井、練馬両城を攻略するに際し、戦勝祈願として自ら社頭に杉一株を献植しました。その杉は繁茂し神社の象徴となりましたが残念な事に落雷の為、枯死してしまいます。

道灌の凱陣後、戦勝を祝い社殿の修復が施され長きに渡り本郷村の鎮守として崇敬を受けてきましたが、昭和二十年(1945年)五月、戦火を被り社殿並びに建造物は全て焼失してしまいました。その後しばらくは荒れ地と化したものの、氏子の皆様の復興への熱意と努力により昭和三十年(1955年)九月に本殿、昭和三十三年(1958年)九月に神楽殿及び社務所が再築され今日に至っています。また令和五年(2023年)には社殿屋根の銅板張り替え及び修繕工事が執り行われました。一年のうち最も重要な祭祀である本郷氷川神社例大祭は毎年九月の第一日曜日に斎行されています。

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